借金完済記念前編では、私の大学受験理由のお話をしました。
今回は中編:大学受験編になります。
38歳になっても思います。”あの絶対絶命時の俺は凄かった、、よくあの状況下を覆したな”と18歳時の私に関心してます。
そのときの話になります。
左は中学1年校内合唱コンクール後の写真だと思います。右は中学卒業時の写真です。
今は好みの女の子がいたとしても、自分の忙しさと天秤にかけて、自分をチョイスしております。
話が逸れました。申し訳ございません。
それでは、いってみましょう。
受験大学(弾)は4つ
第1弾:芝浦工業大学(センター試験,難易度:4位、滑り止め)
第2弾:立教大学理学部物理学科(一般入試,難易度:1位)
第3弾:明治大学理工学部電気電子工学科(一般入試,難易度:2位)
第4弾:遠方の国立大学(センター&前期入試,難易度:3位)
戦略としては、初戦で絶対合格、2,3戦目は挑戦(本番前の予行練習)、4戦目が本番という感じでした。
滑り止め大学を絶対合格して、安心した状態で2,3戦目の挑戦大学を受験。独特の雰囲気を経験した状態で国立大学の試験を受ける戦法です。
頑張って勉強してきたので、2,3戦目は自分の偏差値よりも高い大学を受けることにしました。
弾を5発以上撃てるだけの精神的な体力はありませんでした。模擬試験を何度も受けてきましたが、試験後の疲れというのはすごいもので、、。
また、大学ごとに対策を練る必要があります。受ける大学が増えれば増えるほど1大学に割く時間が少なくなります。
更に、受験料も高いです。確か3万円(3.5万円?)だったかと。。
つまり、いっぱい弾を打つだけの体力、時間、お金がそろってないということが事前にわかっていました。
結構前からこの4発に自分の全てをぶちかますことを決めておりました。
ちなみにこの4大学とも偏差値50以下の母校では合格者が出たことがありません、、受かったら高校に名前を刻むことが出来ます。
そんなバカ高校出身の私がそんなすごい大学を受験しようとすると言われます、、悪口を
下馬評は最悪
言わずもがなです。バカ高出身の私ですから笑。ガラの悪い高校で有名です。
中学時代の友人から”え、お前が受けるの”、”お前の通っている高校で受かるわけないだろ”とか言われました。
おまけに担任からでさえも保護者面談時に”今のままではむずかしいですね”と言われました。
このように言われることは想定(担任から言われるとは思わなかった)はしていたのですが、実際言われると、、、頭にくるものです。
滅茶苦茶勉強しているのにこんなこと言われたら腹がたちました。
しかし、私の高校のレベルが低いことは事実です。そういう風に見られるのは仕方がないことです。その時は何も言い返しませんでした。
しかし、心の中では“絶対合格して見返してやる炎”とたぎらせ、勉強にそのストレスをぶちこんでしました。
月日はたち、いよいよ初戦のセンター試験。想定外の事態が発生しました汗
センター入試でまさかの滑り止め大学落ちる。。。
センター試験でずっこけてしまいました。
第一志望国立大学のセンターは大丈夫だったのですが、滑り止めとしていた芝浦工業大学に落ちてしまったのです。。
絶対合格するとおもっていたところを落ちるとかなり凹みます。
(何事にも最悪の事態を想定するようになったのがここで得たことです。)
さらに、担任から結構きつく言われたことを覚えています。。凹んでいる生徒に追い打ちをかける担任、、、心が折れかけました。
更にx2、私の1年上の当時一番できた先輩もセンターで失敗。それを引きずったのか、その後の試験も失敗、、結果浪人しました。
私はその方とダブって自分をとらえはじめていました。
“俺も同じ道を歩むことになるのか。。”頭の中が真っ白になっていたのをよく覚えています。人間こうなると何もできなくなることを初めて知りました。
この状態がセンター試験後2日続きました。
“この精神状態では間違いなく先輩の二の舞になる”
これを打開するため、私はある行動にでました。
風呂の中で自己暗示
浴槽の中で念仏を唱えていました。
“俺は悪くない”,”悪いのはセンター試験の問題を作った奴”,”あんな問題この世に出来る奴はいない”……
これを風呂場で1時間以上念仏のように唱えることで、全身に私は悪くないことを植え付けました。
こうすることで私は立ち直ることができました。
この時期は高校に行くことも週1日になったので、外部からの悪口をシャットダウンできたのも幸いしました。
受験終了まで自分の世界で勉強出来ました。私立大学の過去問もこの時期からスタート、3年間分のみ1週だけ解きましたが6割以上取れる自分になっていました。
いつもの私であれば浮かれます。しかしあの時は浮かれずに勉強を続けていました。
さらに過去5年間(だったかな)から今回はどの分野から試験がでそうか推測していました。その分野を重点的に勉強しました。
自己暗示をかけた私はいつもとは違うほど冷静でした、それが大逆転を生むことになります。
それは今までの自分の努力を否定することであり、落ちた場合本当に惨めに思うのでしませんでした。
高校受験はそれをして落ちました。すごく惨めでした。
大逆転1:ノリユキVS立教大学理学部物理学科
試験当日、多少緊張しながら中学時代の友達と一緒に試験会場へ向かいました。彼は私よりもはるかに出来る高校に通っていましたが、私の友達であり、ライバルでした。
会場に向かうライバルから言われた言葉は今も忘れません。
“第一志望受かれば、それ以外の大学は落ちたっていいんだよ”
その時までは”芝浦以外の大学は全て受からなきゃ”という気持ちだったのですが、彼からの金言で重荷がなくなったのです。
“落ちてもいいんだから気楽に受けるか!”この感覚が立教大学には効果抜群でした!
第1科目(数学)、、、出ると予想していた問題が出て、85%以上とれました。
“まぐれまぐれ、次の科目はこうはうまくいかないだろ、、、”第2科目(英語)も思い上がることなく、冷静に試験を受けました。
なんと、60%以上取れた感触がありました。
“え、、もしかしたら大番狂わせあるのか。。”そんな気持ちが芽生えていましたが、冷静でした。3科目目(物理)は戦法を変えました。
“できる問題のみ解く&問題を見て少しでもわからないのは後回し、見直ししっかりで6割取得。”
この戦法で立ち向かったのですが、結構時間が余りました。余り時間でわからない問題に取り組むのですが、、落ち着いているからか、解けました、、結構。
結局物理も60%以上とれた感触がありました。
“大番狂わせあるのかっ”
試験結果は第3戦目以降にわかります。
大逆転2:ノリユキVS明治大学理工学部電気電子工学科
私だけで試験場に向かうことになります。落ち着いて第1科目(数学)を受けたのですが、すごく難しかったです。回答用紙は大半を無理やり埋めましたが、自信がありません。
“これはやばい”と思いながらこうも思いました。
“他の人は出来たのかな?”そう思った私は答案用紙回収時に他の方の答案用紙をみてみました。
みーんな、回答用紙は真っ白でした♪
“なーんだ、みんな全然できてないじゃん♪”、”勝負は2科目目から♪♪”
この行動のおかげで私は気持ちをプラスに切り替えることができました。大半の方が凹んでいるであろう状況の中で。
模擬試験でもできなかったこの行動がなぜ本番で出来たのかはいまだに不明です。
第2(英語),3科目(物理)はそれぞれ60%以上、ほぼ満点とれた感触でした。
第2戦、第3戦については、自分なんだけど自分じゃない(冷静すぎる)一面がありました。
浴槽での自己暗示、、、効果抜群です!
第一志望:ノリユキVS遠方国立大学
第一志望を受ける前に、立教&明治大学の合格発表です。なんと、、合格しました涙。
受験票まで保管していたお袋、、、ありがとう!!
(合格した時、合格後の学校の対応は別途)
挑戦大学に合格しましたが、問題が発生します。
勉強に身が入らなくなりました。2.5時間/1日勉強したところで集中力が切れます。
原因ははっきりしていました。
*自己暗示が解けた
滑り止め大学に落ち、後がない状況だったからでしょう。相当心に負担がかかっていたんだと思います。
難易度の高い大学に受かったことで、緊迫状態から解放され、一気に疲れが襲ってきました。
結局、いつも通りの勉強状態に戻ったのは前期試験の3日前だったと思います。
試験は終始落ち着いて受けることができました。これも、
*難関大学合格による安心感
*お袋
のおかげです。お袋、ありがとう。
お袋は前日にホテルに一緒に向かってくれて、試験当日も会場まで見送ってくれました。難関大学に受かっていたこともあり、試験前でも楽しく会話していたのを覚えています。
結局、遠方国立大学も合格しました。親離れの切符をゲットすることができました!
合格後の高校の対応
ここは自慢話になるので飛ばして戴いて構いません。
バカ高校から難関大学初合格がでると学校側の反応がガラリと変わりました。
*立教大学合格時、教務主任から祝電(電話に出たときは誰?という感じでしたが)
*立教大学合格時、担任が職員室で歓喜のあまり吠えた(他の先生、同じクラスの証言)
*職員室、事務室に行くと”君があのノリユキ君か!”という眼差しで見られました
*合格体験談を後輩の前でしました(おそらく高校初)
大学合格から卒業までの間、5日間?ほど学校に行きました。その時だけ“時の人”でした。
自慢話はこれで終わりです。
次回は後編
ここまで長文に付き合っていただきありがとうございます。
滑り止め大学に落ち、絶体絶命の状況の中で、自分に自己暗示をかけることで自分のポテンシャル以上の力を発揮して難関大学に合格したというお話でした。
次回は後編:親離れを振り返るになります。
本日はここまでです、毎度ありがとうございます。