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[後編:恩師と両親へ]親離れを振り返る(奨学金600万円完済記念)

ノリユキ
ノリユキ
いらっしゃーい。か弱いおっさん、ノリユキです。いつもこのブログをみていただきありがとうございます。

この記事を見ていただいている方は前編、中編を見ていただいた方だとお見受けします。私の珍しい長文を読んで戴きありがとうございます。

。。。本編に入る前にアイキャッチの写真について簡単に説明させてください。

左写真は小学校5年(?)少年野球をしている時です。このころも中学時代同様野球ばかりやっておりました。

中学校時と違う点はコーチがとてつもなく怖かったということです。。しょっちゅう尻バットを食らったり、頭を叩かれておりました。

それにしても幼いです。。

小学校時代、中学生から”かわいい”と言われたことがあります。当時の私は”どこが?”でしたが、38歳になり中学生がそのように言う理由がわかるようになりました。内面はちょっとは成長したようです。

38歳の外面は右写真になります。悪い方に成長していることがよくわかります。写真を別の角度から更に拡大すると、白髪がよくわかります。

外面は劣化という名の成長がハゲしいのがよくわかります悲

話をそらしてしまい申し訳ございません。本編に入ります。

今回は後編:親元を離れて20年、、親離れを振り返るになります。

親離れに欠かせないキーパーソンはこの3方です。

*恩師

*お袋

*親父

この3方に対して感謝の気持ちを伝えながら親離れを振り返ります。

内面は良い方向に成長している!。。。と思うのですが。。。

それでは、いってみましょう。

親離れのキッカケを与えてくれた高校の恩師

この先生なくして親離れは語れません。。。現在の私があるのもこの先生のおかげです。

今まで人に言われるまたは相手に合わせて生きてきた私、、、

そんな私が自分で目標を設定し、そのためにしなければならないことを明確にして突き進むキッカケを与えてくれたのが恩師です。

28歳の時、転職活動に苦労し、”このままでは将来生きていけない”と思った時も、18歳の時に先生から授かった”自分で考え決定し行動する”奥義のおかげです。

これのおかげでもう一つの武器(電験2/3種、電工2種)を作り上げ、38歳現在ではそれを使えるようにするため、副業として働くまでに至りました。

本業(営業&購買)をしながらで大変ではありますが、未来を生き抜くために生まれ変わることができました!

ここまで来るのに10年、、、結構(いや、かなり汗)大変でしたが、苦労してよかったと思っています。

長い年月がかかってもこうして努力し続けてこれたのもまた、先生のおかげです。

本当にありがとうございます!!

親離れ20年でわかったことは、先生が与えてくれた”自分で考え決定し行動するという武器”は最強であるということです。

高校卒業の時、目を潤ませながらお礼を言って以来お会いしていませんね。もう一度、いや、、何度でもお会いしてお話ししたいです!

お袋

“かあちゃん、、すげぇ!”と思ったのは、すでに大学合格直後のアパート選びからだったんだよ。

”アパート選びって言われても何すんの?”と途方に暮れていた私にお構いなしでせっせと不動産屋に行って、立地条件、借りる条件、電気、水道、ガスを決め、その後に家電製品、食器、布団などをパパっと決める姿に圧倒されっぱなしでした。

実際独り暮らしをはじめると、いつもかあちゃんがやってくれた買い物、洗濯、掃除、食事、新聞勧誘拒否、家賃、光熱費を全部自分でやることになり、最初の2,3か月は苦労したわ涙

これらを自分でやるようになって俺は今までのお袋への行動を恥じました。

こんなすげぇ母ちゃんにひどいこというなんて、周りがみえていなく、自分勝手だったんだなと。

本当にごめん。。かあちゃん。

実家にいたときは”自動”でかあちゃんが全てやっていたんだよね。”こんな素晴らしい環境で過ごしていた俺はなんて恵まれていたんだ”と実感してます!

話は少しかわるけど、家族と過ごしていたときは、”お帰り”などの会話があったけど、独り暮らしはそれがないんだね。家族のいない環境になった時、孤独感が滅茶苦茶襲ってきたわ。

“俺、、、このまま独り暮らし続けていけるのか悲”

大学1年のゴールデンウイークに実家に帰ったのは、そんな孤独感から解放されるためです。

家族から元気をもらったおかげで、それ以降は独り暮らし慣れてきたよ。ありがとう。

お袋はパートをしながら手の込んだ食事を作ってたけど、俺には無理だわ降参。自分の時間がなくなる悲。

自分の時間を犠牲にしてまでも、子供のために時間をかけてくれるかあちゃんに脱帽です。

覚えているかわからないけど、社会人寮生活時、俺が高熱をだして”年末年始帰れない”と言ったこと覚えてる?

次の日に”寮の前にいるから来なさい!帰るわよ!!”と言って寮に来てくれたときは、滅茶苦茶驚いたわ笑

家族の看病のおかげで、高熱がすぐ引いたね!家族愛が一番の特効薬ということだね♪

親離れ20年でわかったことは、かあちゃんには一生かなわないということだったよ。

不肖のバカ息子ですが、実家に帰ったときはおいしい料理よろしく!(年に1回しか帰れないけど許)

親の料理がこの世で一番うまいことも親離れしてわかったこと♪

親父

“親父、、やべぇ!”と思ったのは、30代半ばになったあたりからです。(遅くて申し訳ない)

30代半ばになると、私の同年代は大半結婚してます。子供の人数を聞くと大半は1人です。俺もそうだけど、このご時世子供1人育てるのが限界。。

親父は3人兄弟をやしなったんだよね!凄すぎるって!

社会人になってからわかったけど、仕事辞めたくなったこと何万回もあったよね。それにも関わらず辞めずに歯を食いしばって頑張れたのは、”家族のため”という気持ちが強かったからじゃないかな?

俺のように自分のためという気持ちの強い人間には到底真似できないわ。。

“そんな無茶ぶりするなら辞めますっ”て言っちゃうもん。

その強い家族愛で60歳まで働き続け、家族を養ってきたのは立派!!

また、仕事が大変にも関わらず、休日は俺や弟と野球したり、料理作ってくれたよね。本当はゆっくりしたいはずなのに。

これらが俺と親父の大きな差なんだと強く実感してます。

この差はこの先も縮みそうにないよ。。。開いていく一方。。。

親離れして20年でわかったこと、、、親父にも一生かなわないということだったわ。

実家に帰った時は、親父の手料理(朝、昼)よろしく♪歳を重ねるごとに料理がうまくなってる!

両親に一言

どうか元気にそして健康でいてくれよなっ!

ノリユキ
ノリユキ
俺のように☆彡

病気、ケガしたら、、わかってると思うけど、、、そっち行くからねっ

家であろうが、病院であろうが、かまわず俺やっちゃうよ~

“最強である俺の親が、、何やってんの怒!!!!”、”気合と自分で治しなっ怒!!!!”と闘魂注入しにいくからね怖

70代であろうと関係なしっ、、最強である俺の親の宿命です。

十中八九これが最強であり最愛の特効薬になるでしょう。

親父は毎日2時間歩いてるし、おふくろも定期的にジムに行っているので大丈夫だと思うけど。

それじゃまた電話またはブログで会おうぜ!!